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星と星を巡る人


「頭を挙げるだけで自然と眼に映る点の宝玉図を知らずじまいにすることは、人間の享け得る幸福をむざと捨てることだ」

 

これは、天文民俗学者、野尻抱影(のじりぼうえい)の処女作

「星座巡礼」に書かれた一節です

 

「宙を見上げればきれいな星があるのにそれすら気付かないのはもったいない」

と私が抱いてきた気持ちを、魅力的な言葉づかいで表現してくれていて

共感しつつも、少し攻撃的でもあるなと感じました

 

星を見上げなくたって、頭上に何が広がっているのか知らなくたって

裕福になって美味しいご飯を食べれて

あたたかい家族や、許せ合える友人に囲まれ

幸福感を味わいながら、くらしていくことはできるでしょう

 

そう頭で分っていても

「人間の享け得る幸福をむざと捨てることだ」

と言われると、はっとさせられます

「享受できる幸せがあるのに知らないとは悲しいことだ」

と気付かされるのです

 

宙に輝く星たちは誰を差別するでもなく

その輝きをもって、私たちの心を癒し、魅了してくれます

頭を挙げれば自然と眼に映る星々の美しさに

視線も意識も奪われて、心がやすらいでゆく気持ちになっていくのでしょう

 

星を見て、どう感じるかは人それぞれですが

星を見て、やすらぎや幸せを味わえるようになったのなら

今まで以上に幸福なくらしをすることができるのだと思います

 

まずは、宙に輝く星たちの存在に気付けるところからスタートしてみませんか?

星と星を巡る言葉

仕事で星のお話をするときは

西洋から伝わったカタカナ表記の言葉を伝える方が圧倒的に多いのですが

たまに和名の説明をすると

同じ星でも捉われ方が違うな、と感じます

 

例えば、春の星座であるおとめ座の一等星スピカ

「スピカ」と聞いて、どんな星なのかイメージできますか?

ピカピカ輝いて、明るい星のような気がするなど

いろんなイメージが思い浮かぶと思います

スピカの語源の意味として「穂先」「とがったもの」などがあり

鋭く輝く姿から、そう付けられたのかもしれません

 

では、「真珠星」と聞いてどんな星なのかイメージが浮かびますか?

真珠のように白く美しく、きれいな輝きなんだろうな・・など

おそらくほとんどの人が真珠のような美しさをもつ星とイメージしたでしょう

 

この「真珠星」は「スピカ」の和名で、同一の星なのです

(ちなみに、野尻抱影が真珠星と呼んでいたことから和名として浸透しました)

同じ星だから、見え方も明るさも色もなにもかも同じなのですが

言葉を聞いただけでは、イメージする星は完全に一致しない

どう表現するかによって、星のイメージって変わるんですね

 

未知なものだらけの宇宙を研究する学問だからこそ

それを伝える言葉は、重要な役割をすると思います

 

科学的に宇宙や星について研究していき

そこに、ちょっと文学的な要素が加わることで

天文学は魅力的な学問として

昔から私たちを虜にしてきたのでしょう

星と星を巡る人

宙を見上げて、星を見てどう感じるかは人ぞれぞれです

素敵な気持ちになる人のほうが多いと思いますが

全員が良いイメージを抱いているとは限りません

 

野尻は自身の著書の中で

”戦争中に見た星が、敵機の編隊を真似たりして私を脅かした”

というようなことを述べています

 

いつ、だれがみても同じように輝き続ける星だからこそ

絶望的な状況に追い込まれたとき見上げる星々が

自分を突き放して、冷ややかに見下ろしているようにみえるのかもしれません

 

2011年の東日本大震災の後、宮城県へボランティアとして行った時に

地元のお母さんから言われた言葉も忘れられません

”真っ暗になった夜、気持ち悪いくらい星が輝いていて怖かった”

真っ暗闇の中、自分がどうすればよいのか分からない状況で

ただ、星だけはその輝きをめいいっぱい放ち続ける光景が

体験したことのない”異様”なものだったのでしょう

 

星はどんなときも平等に輝き続けるからこそ

それを見る私たちの取り巻く環境が変わってしまうと

以前と同じように見れなくなるのかもしれません

 

でも、それはしょうがないこと

いつもと変わらず輝く姿に諦めを感じるのも、安心を覚えるのも

どう感じるかはその時によって、みんな違ってあたりまえ

 

ただ、みんなに共通して言えるのは

”星を見た”という思い出が

きっと、ずっと忘れられないものとなること

いつの日かくらしの一部となり、あなたを見守る存在となるでしょう

 

星空は良い思い出も、嫌な思い出もすべて包み込んでくれる

宝箱のような存在になってくれると思います